125. 起業家の鏡

チャック・フィーニーChuck Feeneyが享年92歳で亡くなったとのNYT記事(10/11/23)を目にした。今まで知らなかったビリオネアー起業家。 ウオーレン・バフェトとビル・ゲイツがビリオネア起業家の鏡ヒーローと呼んだとある。 

死亡追悼記事を読めば、日本に縁のあった方。日本の戦後昭和の経済成長で日本人海外旅行ブームを読み、海外旅行者用免税店小売業を世界に展開し財を成した。起業家の鏡と言われる所以は、免税小売の世界トップとした成した財をホテル・不動産・ハイテク・スタートアップに投資して得た全財産を、自ら設立した寄付財団を通じて世界中で匿名にて博愛寄付して全財産を使い切って亡くなった事に依る。 普段から成功を鼻にかけた贅沢仕舞いを嫌い、普通人と変わらぬ生活を送っていたそうである。 旅行移動の航空券もエコノミー、リムジン車では無くタクシー・地下鉄を使い、腕にはカシオの安腕時計。 世界中で7つの屋敷家屋も先妻と子供に譲り、最後の十年は、サン・フランシスコの2ベッドルームのレンタル・アパートで亡くなったとある。 

小生の住むニュージャージ州にも縁があった方。 小生宅から十数マイル離れた町のエリザベス市出身のアイリッシュ系カトリックのブルーカラー家族の三人の子供の二番目唯一の男児として生まれた。 その町のカトリック高校卒業後、志願し兵役に就く。 日本の福岡県芦屋の米国空軍基地に駐屯し、機密暗号を扱うインテリジェンス・サービス部門に配属された。直後に朝鮮戦争が始り日本駐屯は4年に亘った。 日本の文化習慣や日本語会話をその時期に学んだ。 空軍での兵役終了後、元兵役者に与えられるGIビルの大学教育費無料負担恩恵を利用しアイビーリーグのコーネル大学に志望申請し、ホテル業マネジメントを専攻した。 苦学ゆえ、勉学の間にはサンドウィッチを作り寮生顧客を対象に売り捌いたのが起業の始め。大学キャンパスではサンドウィッチ・マンと呼ばれた。 コーネル大学同窓で知り合った人材網を大事にして後には数ある同窓生を事業にも呼び込んだ。 

日本人の海外旅行ブームに乗って世界に日本団体旅行者を対象にしたデューティ・フリー・ショッパーDuty Free Shoppers(DFS)をホノルル始め、グアム、香港・アンカレジ等の空港内に設置。 酒類・タバコ・香水等を海外免税主要アイテムとしてパリ・ニューヨーク・ロス・サンフラン等にも拡大した。4名のパートナーがコントロールする事業は配当金を毎年税なしで受け取り、世界最大の小売業者となった。しかし、私企業で財務秘密漏洩を徹底し、長い間フィーニーの存在は世に知られなかった。

全米富豪者のトップ400にフォーブス誌が突然フィーニーを上位リストし、初めて世間は彼の存在を知るようなった。 しかし同時期には、米国IRSへの税回避のために設置した財団に既に彼の全財産を移管しており、フィーニーはビリオネアではなくミリオネアで富豪とは程遠いランクであったらしい。

あまりにも劇的な起業家博愛家人生を歩んだフィーニーの思想発想を知りたくて、図書館にて彼の人生を画いた本を手にした。 コナー・オクラーリConor O’Clery著「ビリオネアでなかった富豪」”Billionaire Who Wasn’t: How Chuck Feeney Secretly Made and Gave Away a Fortune” (2017刊)を読み始た。 彼の人生を垣間見るつもり。 

人生、金があっても幸せになれず。 世のため人のために使い切ってこそ幸福な人生と呼べる。 フィーニーの声が聞こえる気がする。 

冥福をお祈りします。 RIP Chuck Feeney.

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