108. ピックルの味見

5月23日付NYタイムズ紙に5月初旬に96才で亡くなったロバート・ブラジックRobert Vlasicの死亡記事が載っていた。 小生の今まで知らなかった食材ピックルス・ブランドのブラジックVlasicを有名ブランドにした主である。 キャンベル・スープへの売却時には大手競合ハインツをも凌ぐ25%の市場占有率を持つピックルス・トップ・ブランドに押し上げたそうである。

クロアチア移民の祖父が始めたミシガン州デトロイトのローカル乳産品ディストリビュータの家業の三代目に当たるボブ・ブラジックが事業基盤を変換し、ピックルスの製造販売へシフトした事業経過をライターのクレイ・ライゼンが簡明に記載した記事である。

第二次大戦時に海軍従軍後、デトロイトでの家業を受け継ぎながらミシガン大でエンジニアリングの学位取得後も家業に従事した。 戦時・戦後にかけて、ピックルスをガラス瓶に詰め数種をパッケージ化し、運送と棚在庫を容易にして全米ブランド化し功を得た家業継承成功の話でもある。 ピックルスに特化した品揃いは一時100品種を超えたらしい。 1978年キャンベル・スープに事業売却した際には、全米シャア25%を超える全米1のピックルス・ブランドであったそうである。 売却条件にはボブ本人が買収先のキャンベル・スープのボード・メンバーとなる事だったらしい。 さらには、1989年から1993年に間にはボード・チェアまで務めた。 現在は、ブラジック・ブランドはキャンベル・スープ傘下ではなく、コナグラ・ブランドがブラジック・ブランドのオーナーとなっている。

戦後ベービーブームに後押しされたブラジックのマーケティング戦略は、全米の妊娠中母親候補を対象に多種多味を瓶詰めし提供した。 コウノトリのキャラクターが発するグラウチョ・マルクス流の声とオフ・ビートなジョークを使った前面に出す宣伝文句で成功したとある。 1974年のNYタイムズ紙とのインタビュで、ボブは「ピクルスは楽しい事業であって、我ら自らと事業を真面目きって取り扱わない事にした」と話したそうである。 自身のエンジニアリング専攻の背景からか、マーネージメント面ではメリハリのあるアプローチを事業スタッフに課したようだ。 報告レポートは常に一枚に纏める事と、重要なインパクトを与える点に日々フォーカスする事を求める厳しさがあったらしい。

移民創業者の孫が家業を継承し、絞り込み選択事業を心からエンジョイしながら全米1のブランドに育て上げたブラジック・ブランド成功の話の裏には、多くの示唆があるようである。 

一度、ブラジックVlasicピックルスを齧りながらボブの残してくてた教訓を味見してみましょう。酸っぱくも止められない事業成功の秘訣がありそうですね。

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